『アジアの草の根の健康づくり-各国のNGOの活動から』
公益財団法人 アジア保健研修所(AHI)
事務局長 林 かぐみ 様
はじめに
昨年10月の例会に続き、本日はお招きくださりありがとうございます。今日は、これまで駆け足でお話しがちだったことをもう少し丁寧にお話できればと考えております。特にタイトルに挙げました「草の根」ということです。なぜ、私どもAHIが「草の根」を重視するのか、また、世界的にはどのような動きがあるのか、をお話したいと思います。
最初に、少し皆さんからお聞かせください。「健康にとって欠かせないもの」「ご自身の健康にとって大切なもの」は何でしょうか? 栄養、睡眠、運動、病院、医者…様々なものが考えられます。「したいことができる自由」と答えた高校生もいました。いわゆる途上国の状況を考えると、社会制度も重要です。日本でも国民皆保険が実現したのは1961年ですから、そんなに古いことではありません。
アジア保健研修所(AHI)にとっての「草の根」
AHIは、1980年に発足した民間の国際協力団体(NGO)です。当初、愛知県知事の許可にて財団法人として発足、その後、公益法人改革により2012年に公益財団法人となりました。定款にあげる目的は次の二つです。一つは、人づくりを通じたアジアの人びとの健康増進に寄与すること。もう一つは、日本国内でのアジアや国際協力に関する理解を推進することです。設立の契機は、この小学6年生教科書にある通りです。
Q:医師の派遣や病院の建設ではなく、どうして研修事業なのですか?
A:「貧しい人々の健康を守るためには、医師だけでは限界があり、地域の事情をよく知っていて、みんなの生活のことまでいっしょに考える人の育成が必要だと考えたのです」
この教科書は岐阜市でも採用されています。<東京書籍「新しい社会小6・下」>
これは観念的に導いたことではありません。医者であった創設者自身の体験に基づいています。1976年創設者の川原(故人)はネパールの僻地の病院で3ヶ月間、医療協力にあたりました。そこで目にしたのは、あまりに重篤な状態になって病院にやってくる患者さん。もう少し早く来ればという思いを持ちつつ、村々を巡りました。
急な斜面を水かめを担いで往復する女性たち。学校は教室が足らずに青空のもと。それももっぱら将来の稼ぎ手とされる男の子たちが通い、いずれ家族の健康を守る役目を持つ女の子たちは後回しにされがちでした。川原が家々の軒先に鶏がいるのを見て「卵を食べて栄養をつけなさい」といったところ、「ドクターあなたはわかっていない。彼らにとって卵は現金を得るために売るためであって、自分たちが食べるものではありません」と同行した保健ワーカーから言われたのです。そして、村の人たちにとっては、病院にかかることは、物理的、経済的にも、多くの高い壁があることを理解するようになりました。
そんな中で鍵となると思ったのが、既に活動していた現地の保健ワーカーです。住民を指導し、相談にのり、彼らの文化や生活に沿ったアドバイスをしていました。この人たちをもっと育て、彼らがもっと活躍するようになること。そのことによって、予防や地域での健康づくりが推進され、人びとの健康が守られるようになるのではないかと考えました。
その頃、世界的にも川原自身の体験は、特別なものではありません。貴クラブが協力してくださっているフィリピン、ミンダナオ島で、長く地域保健・生活改善に取り組んできたNGO、ダバオ医科大学付属プライマリヘルスケア研修所(IPHC)の始まりもその一例です。1970年代、一組の医師夫妻が貧しい人たちのために無料診療所を開きました。しかし、数年経つうちに、果たしてこれがいいのだろうかと思い、保健ボランティアの育成を始めました。病気になって治療した人がまた同じ病気でやってくる。これでは何も変わらないと考えたのです。そこから保健ボランティアを募り、その人たちに指導し、その人たちが近所の人たちを助ける。AHIが長年つながりを持っていたインドの医師夫妻も全く同じ背景から治療をやめ、啓発活動へとシフトしていきました。
世界各地でこのような多くの実践があり、その経験は、1978年世界保健機関(WHO)とユニセフが行った会議で「アルマ・アタ宣言」としてまとめられました。そこでは、従来、都市部・医療機関重視であったものから、農村村部・漁村部での「草の根」での、予防接種などの普及、衛生環境の改善など基本的な保健サービスと環境改善の重要性が打ち出されました。そして、そこには、住民の参加が必要だとされました。
フィリピンのNGO
先ほどお話したダバオのIPHCというNGOは、保健ボランティアを育成する中で、地域のリーダーを育て、住民が中心となった活動を生み出していきました。さらには、直接的な保健活動だけではなく、住民グループ形成、収入向上のための農業プロジェクト、女性たちを中心とした貯金と小規模貸付のプロジェクト等々へと総合的に生活改善に取り組むよう展開していきました。
フィリピンでは、1986年に独裁的なマルコス政権が倒れ、民主化の動きが始まりました。地方分権、その中でのNGOも位置づけられるようになりました。そして、行政とNGOの連携も大きくなっていきました。NGO関係者は、自分たちがその地域での活動を修了しても、そこに残っていくものにしていかなければならないと考えています。住民自身が自分たちによる活動として継続すること、それを行政が支援する、あるいは制度化すること。それが重要視されるようになっていきました。AHIとIPHCの関わりをそれを念頭に、行政が関わる地域づくりが進められました。
そして、今、貴クラブの協力の相手となっているのが、ニューコレリア町という人口5万人ほどの地域の町役場の職員や議員、保健ボランティアなど、以前AHIやIPHCの研修に参加した人たちで作る組織です。
約20年前にAHIの研修に参加したニューコレリア町健康課課長のナンシーさんは、この町で一か所しかない町の診療所で診療を行うドクターでもあります。彼女いわく「住民の話し合いが様々なところで行われると、健康課題を含め、いろいろな地域の課題が浮き彫りにされる。行政はそれらを受け、住民の理解を得ながら、事業を進めることができる」と住民参加は様々に大変であるけれども、それは地域づくりの基本であると話します。
超高齢化、それに伴うコスト増大の日本の地域社会を見ると、地域の支え合いを楽観的に語ることはできませんが、一方、従来いわゆる専門家に頼ってきた私たちの「健康」を改めて見直すと、地域にあるいろんな資源を見直すことに可能性を見つけられるかもしれません。
タイの元研修生は、都市部への出稼ぎで過疎化が進む農村部で、困難な状況にある家庭の子どもたちも一緒に高齢者を訪問する活動を行っています。それは子どもたちにとっても自分が誰かを支えているという自信につながり、互いに励まされると言います。そういったことの中に日本の私たちにも参考になることがあるように思います。