卓話「日本での8年」

卓話者 ロータリー米山奨学生
オントルマ様

こんにちは!本日は『日本での8年』というテーマで卓話を進めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。卓話の流れは、日本語学校の留学生として、岐阜大学の大学院院生として、今後、社会人として、最後という四つの面から話しさせていただきます。

日本語学校の留学生として

日本に来ることは、やはり日本語は大事です。目的が違うため、必要とする日本語もそれぞれ違います。私は留学生として日本に来たので、日本語はより大事だと思います。これで、日本語をもっと勉強するために日本の日本語学校の学生として日本にきました。
日本語学校では日本語のレベルによって初級、中級、高級コースをわけていました。高級コースはほぼ大学では日本語で専門として学生で、日本に来て進学および日本に就職するためでした。日本にいるから仕事の面接に行くことが便利で、職場のことも見に行くことができるのでメリットが多いと思います。初級、中級コースは日本語専門以外の学生が多く、日本語学校を卒業したあと日本の大学、大学院、専門学校に行く学生が多かったです。
日本語と言えば、外国人にとって日本語能力試験も結構大事だと思います。日本語能力試験は日本で作られたが、日本人はあまり知らない試験だと思います。では、日本語能力試験とは何ですか。一言で言えば、英語検定試験と同じ物です。日本語能力試験はN5からN1 五つのレベルがあります。では、どうしてN1、N2のNを使っていますか。これはNihongoのはじめのアルファベット文字のNから来ました。N1、N5どちらレベルが高いと言えば、N1は一番難しいレベルです。N5のレベルは:新しい車ですね、新しいの読み方。N3:山本さんはクラスの代表に選ばれた。代表の読み方。N1:彼は今、新薬の研究開発に挑んでいる。挑んでいるの読み方。日本の皆様にとって、レベルは同じように見えるかもしれませんが、日本語を習っている外国人にとって、習っている初めごろは四歳の娘の日本語のレベルもないと思います。日本語学校を卒業した後、日本語能力試験N1を挑戦し、合格しました。N1試験は文字(もじ)、語彙(ごい)、文法と読解(どっかい)、聴解三つの部分で、180点は満点です。個人的には文字(もじ)、語彙(ごい)、文法の部分が難しかったです。N1は100点で合格することができます。研究室の先生方からもよくある質問で:子どもは普通なに語で話していますか?二人の子どもは8ヶ月から保育園に通いはじめ、普通は日本語でしゃべっています。保育園の先生から習った岐阜弁は私よりうまいです。帰国しても、日本語を忘れないように絵本、アニメを見せてこれからも家族みんなで生活の中で中国吾、モンゴル語以外に日本語も話していこうと思っています。
日本語学校では日本語を勉強する以外、いろいろな活動があります。こちらは、学校の活動箱根に旅行に行った写真です。
日本語学校で日本語を勉強する以外にアルバイトもしたこともあります。最初、日本語はできないので、ほとんどの店に募集されなかったです。四か月後に鶏肉屋さんでアルバイトを見つかりました。店長さんに本当に感謝しています。あの時も日本語はよくなかったです。休みをとる時のメールは間違ったりすることがよくありました。
例として:
当時:渡辺さん、明日、遅刻してきます。
今:渡辺さん、大変申し訳ないですが、明日、用事があって、すこし遅れて出席させていただきます。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。

 

 

 

 

 

休みを取ることにも日本の文化もよく含まれているではないかなと思っています。同じ店長さんに休みを取ることを伝えているが、上の方は言葉がまっすぐに伝えられています。下の方は、言葉は何回も曲がってから伝えられています。同じボールが同一の目的地に行きますが、上のボールは直接来て、なんか力が強く感じられます。下の方は、ボールは何回もまがり、ボールの力が減ってきたので、強感はないようにきこえます。日本語の表現は私にこの下のボールのように曲がってきているように感じられます(図のよう)。日本の皆様に日本語はどのように感じていますか?私は興味深いです。こちらは日本語学校の卒業証書となります。日本語学校での勉強、生活が楽しかったです。

岐阜大学の大学院院生として

2017年岐阜大学医学系解剖学分野の千田教授の大学院生として入学しました。
院生の生活:9時から13時の間、実験を行い、その後17時まで自習およびマウスの世話などをしていました。やった実験はすべて実験ノートに記録する必要があります。四年間で行なった実験はすべてこの12冊の実験ノートに記録しています。実験ノートに実験方法、統計方法などを記入したりします。こちらは卒業学位論文になります。四年間のデータはこの論文に載せています。今日はいつも以上に緊張している日です。こちらの発表が終わったから17時に学位審査会の発表があります。
日本での留学生活はたくさん方々にお世話になった8年でした。この8年間の変化として、二十代から三十代に入りました。子どもも産み、お母さんにもなりまし。恩師に出会い研究の道を歩むことになり、こころの優しい日本の方々と出会い、日本に来てよかったと思っています。

今後、社会人として

社会人として:仕事の面から
基礎研究を中心として、故郷の伝統医学の発展に貢献できるように努力しようと思っています。
社会人として:社会へのこころ
社会が凄く発展していると思います。でもこの道が通れない山の奥や水が少なく農業が出ないところに貧乏も存在しています。このような子どもたちに何か手伝ってあげる必要があると思います。子どもたちはなにも悪くないです、このような環境に生まれてきて、もっと楽に生活をして、勉強してほしいです。親の負担も少なくなるし、一人で頑張っていない、みんな助けてくれていることで、生活がそんなに苦しくないように。これも私の経験と関係があると思います。うちは姉妹三人で、80、90年代には三人の子どもを育てるのはとても大変でした。特に女の子は中学卒業後、親の手伝いをすることが多かったですが、父は女の子でも勉強するのは大事なこと、どんな時でも自分で働いていくことが大事と教えてくれました。人生の中で父親の影響がとても大きかったです。中学ごろに母親が交通事故で亡くなり、その大変の中でも、父は三人の子どもを大学卒業できるまで一人で必死に頑張りました。
このように子どものために頑張っている親が大勢いると思います。本当に疲れている時にほんの少しでも楽にさせてあげたいです。
社会人として:日本との関係
1.今の研究室と共同研究ができること。2.日本でお世話になった皆様と友好なコミュニケーションを続けたい。3.休みの時、子どもを連れてまだ日本に来て、日本でまだ行けていないところに行ってみたいです。

最後

皆様が留学期間に応援、見守ってくれて本当にありがとうございます。今後、優しい心を持って皆様の後継者になって生きていきます。皆様のご指導、ご応援、どうぞよろしくお願いいたします。

卓話内容は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

2021年3月2日 | カテゴリー : 卓話 | タグ : | 投稿者 : gifunakarc