卓話 「能の雑学2」

卓話者 森益男会員

卓話者 森益男会員

能の歴史

飛鳥~平安
猿楽の発生と田楽

南北朝~室町
観阿弥清次(1333~84)により能の基礎が確立
芸域の広さを誇る稀代の名優であったと共に「自然居士」「卒塔婆小町」「通小町」といった名作も
猿楽能の謡に曲舞を加え新しい「観世節」を生み出す

世阿弥元清が芸術の域まで高める
「幽玄」=上品で優雅な美しさを完成させ「伊勢物語」「平家物語」の古典を題材にした〝夢幻能"を創り出した
「忠度」「清経」「井筒」「融」「高砂」等を残した
それにより田楽等は消滅する

桃山
応仁の乱により混乱の時代へ
織田信長と幸若舞「敦盛」
豊臣秀吉による、能の天下統一

江戸
徳川家康は観世流を嗜んだ
秀忠、家光は「喜多流」の擁立を認め能の五流「観世」「宝生」「金剛」「金春」「喜多」が成立 武家の「式楽」(儀式用の芸術)となる
一般大衆に「謡」を楽しむ文化が生まれる
寺子屋の教科書にも謡本が採用、流布婚礼で耳にする「高砂」はその名残

織田信長と「幸若舞」

『翁』付き五番立 能の演目の5つの分類
「神」 神が出現する能で「脇能」とも呼ぶ
「男」 武将の戦を描く「修羅能」勝ち修羅、負け修羅
「女」 鬘をつける女性が主人公の「鬘物」
「狂」 狂乱や嫉妬を描いた多彩な能「雑能」
「鬼」 鬼神が登場する能「雑能」
※生きている男性の役は原則として面を用いず女と老人の役は面をつける
神・鬼・亡霊といった霊体の役は全て面をつける

織田信長と「幸若舞」

「信長公記」には今川義元との桶狭間の戦いに臨んで「敦盛」を舞って出陣したとされているが、これは越前の桃井幸若丸が始祖、室町末期、戦国武将に愛された幸若舞の「敦盛」である。 衣装や面を付けず小鼓の伴奏で2,3人が朗誦する。 天正10(1582)年、信長が武田氏を滅ぼして安土に凱旋。 5月15日家康が駿府を与えられた礼に安土を訪れ、明智光秀が御馳走役に命じられ、饗応の為幸若舞と能を催す。その際、幸若舞の出来が良かった反面、丹波猿楽の能が散々だった為信長の逆鱗にふれ激しい折檻を受け本能寺に繋がったという説がある

豊臣秀吉と「能」

朝鮮出兵の際、肥前名護屋にて能(金春流)を習い熱中する。 新作能「吉野詣」「明智討」等、5曲を創作し自ら演じた。 禁中における3日間の能会においても「老松」「定家」等12番もの能を演じた。前田利家は「江口」等2曲、家康も「野宮」等2曲その際4名の大名も各各1曲ずつ演じた。 秀吉、家康、利家による狂言「耳引」も披露された。

薪能

本来は固有名詞であり、「春日大社」や「興福寺」の宗教行事として行われる薪切り出しの神事に伴う能だけを言った。 興福寺南大門跡の芝生などで金春・観世・宝生・金剛の四座が勤めた。 建長7年(1255年)以前から既に行なわれていた。 冬を破って春を呼ぶ、五穀豊穣を祈る祈年祭りの神事で、現在は主として5月に金春流によって演じられている。 現在の薪能の火付け役は「火入れ式」を初めて実施した京都平安神宮の薪能で東京オリンピックの点火式からヒントを得たと言われる。 「長良川薪能」は、1986年(昭和61年)岐阜JCの創立35周年記念事業として発足し、本年は第37回として9月に開催が予定されている。

2024年2月20日 | カテゴリー : 卓話 | 投稿者 : gifunakarc